タイ・イサーン記6
ピマーイ


10時に迎えに来た彼女夫婦の車でピマーイに向かう。
彼女はバッグ一杯の演歌のカセットを持ち込んで来た。
小林幸子が大好きだそうだ。
次々にいろんな話を聞かせてくれる。
「4年前に交通事故して、おお怪我をしたの」
と背中を捲くる、背骨が無残に変形している。
「だから、子供が生めないのヨ、主人に申し訳なくて..」
「日本に恋人が居たの、自衛隊員だったけど、
其の人、他の人と結婚してしまったのヨ。 悪い人ヨ」
演歌の意味も良く判るらしい、切ない別れの曲になると彼を思い出すらしい。
「男も女も悪い人、良い人居るヨ、タイでも同じ、あんた、気を付けてよ」
この、「あんた、気を付けてヨ」を何回も繰り返す。
食べ物の話になる。
私がモヤシが好きだと言うと、ゲラゲラ笑い出した。
「タイでは、モヤシは悪い言葉、モヤシが好きだ、なんて言うと可笑しいヨ。
モヤシは女性のあそこの毛のことヨ」

通りすがりの目に付く木、草、野菜の名前を一つ一つタイ語で教えてくれる。
「スリンの象祭、凄いよ。 あんた来なさいヨ。 
タイ中から200匹の象が集まって来るの。 
祭の日は、私は朝から大変、家の前に象の食べ物を並べるの、象はいっぱい食べるヨ。」
日本語の解せない旦那はもっぱら静かに運転している。


ピマーイ
代表的なクメール遺跡、四方1kmの城壁に囲まれた聖域の跡、
1000年前の豪華さが偲ばれる。
此処も奇麗に修復され公園化している。
2、30mもある仏塔が中心、



 

 堂の四方の入口の彫刻、







ヒンズーの神々やいろんなポーズで優雅に踊る天女の群、
今にも飛び出してきそうな兵士達等々、緻密な彫刻が数限りない。

 

公園の彼方此方に修復しきれなかった彫刻が、置物のように置かれている。
彼女は前に来た事が有るらしい、木陰のベンチに横になった。
或いは長いドライブには耐えられない体なのかも判らない。
旦那の方は、あちこち、丹念に見回っている。




ピマーイから60kmでナコーンラーチャシーマー、通称コラート、
標高200mから300mの大高原、イサーンへの西の玄関口だ。
本来、コラートから一日掛けてピマーイへ行くつもりだったので、大助かりだ。
彼女の知り合いのホテルへ直行、AC,TV,風呂、冷蔵庫、皆付いて20畳位の部屋、快適だ。
彼女が部屋まで付いて来て、電気の付け方、風呂の入れ方、
冷蔵庫の使い方、ひとつひとつ、教えてくれる。
そして、
「気を付けてヨ」
の連発。
「ドアがノックされても絶対開けては駄目だヨ」

近くの巨大なデパートへ、
車の中で彼女に胸豊剤の話をしたものだから、あちこちと探し捲くる。
ここでも、そのものずばりは売ってない。
  発癌剤の危険性が有り、目下詳細に分析中、
結果が出るまで発売禁止処置が取られているのだと説明を受ける。
「同じようなものです」
と、フランス製の類似品を次々に紹介されるが、良く判らないので断る。

彼女は、カツラ売場の前に居座る。
「事故した時に願かけて髪を切ったの、命を助けてもらったので、
その後も髪は伸ばさないの、だからカツラなの」
あれやこれや、カツラの選択で大変、
私と旦那は小一時間近くでウロウロするハメになった。

「日本食を食べよう」
と言う事になる。
古時計や骨董品が、壁いっぱいに品良く飾られ、

落ち着いたレストラン、日本酒のパックがチラホラ見える。
久し振りに日本酒に有り付けたと唾を呑み込む。 ところが、
「これは、みんな、お客さんの物です、
日本のお客さんが日本からお帰りになった時に持参し、
此所にキープして有るのです」
残念、
「中国酒は?」
「店には置いてないけど、直ぐ其処の酒屋さんで売ってます。
ここで飲んでも構いませんよ」
彼女と買いに出る、タイでも「一寸」が大変、
クタクタの足を引き摺って、それでも、10分もしたら酒屋。
紹興酒とワインをぶら提げて戻る。

湯豆腐、烏賊焼き、牡蠣料理、等々で飲み始める。
30がらみの洗練された美人が入って来て、丁度、彼女の向こうの席に坐った。
しなやかな手付きで煙草を掴み、静かにビールを飲み出した。
携帯でのやり取りは日本語、一寸、タイ訛りが有る。
丁度、こちらの彼女と頭が重なった位置、
いやが応でも向こうの一挙一動が視線に入る。
所謂、キャリアーウーマン風だ。
やがて、60がらみの日本人の男性が入ってきて前に坐り、
書類を挟んでやり取りが始った。

こっちの彼女はワイン好き、ピッチも速い、結局、紹興酒とワインが空になった。
旦那は相変わらずコーラだけだ。
「彼の運転していた車で、120kのスピードで木にぶつかったの..」
彼女の日本語も完全では無く、アルコールが回って来ると、
早口になり、タイ語も交じるから、完全に理解出来ない。
どうも、彼は事故の責任を感じて彼女と結婚したらしい。
「私がまだ小さい時、父母が別れて、親戚に預けられたの。
だから、学校は行ってないの、タイ語も英語も書けないヨ。
日本で働いて、弟と妹をハイスクールを卒業させたの、
でも、彼が愛してくれるから幸せ」
マリアの様な笑顔がこぼれる。




突然、向こうの二人が激しく言い争いしだした。
男「インボイスが無いなんて、そんなの、話にならん」
女「私は、ちゃんと送りました」
女も、猛然とやり返す。
30分程、大声の遣り取りが有って、男が、
「やってられネーヤ」
と捨て台詞を残して席を蹴る。
「どうぞ、どうぞ」
女も開き直った様だ。
紅潮した顔付きで宙を見やる、今度はウイスキーの水割りを飲み出した。


二人が部屋まで送ってくれた。 また、
「気を付けて」
の連発。
「鍵をちゃんと締めて、ノックが有っても開けたら駄目ヨ」
「まだまだ、子供出来るチャンス有るよ、頑張ってね」
二人は手を組んで帰って行った。
旅は面白い。



つづく

 

タイ・イサーン記1 ウボン・パーテムの先史時代の壁画
タイ・イサーン記2 カオプラヴィハーン遺跡
タイ・イサーン記3 スリン・象の街
タイ・イサーン記4 パノンルムン、ムアンタム、バーンプルアン遺跡
タイ・イサーン記5 スリンの夜
タイ・イサーン記6 ピマーイ遺跡
タイ・イサーン記7 コラート・蝋祭り